TOJI × 酒蔵のストーリー Vol.01|宮坂醸造― 杜氏編
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和の中から、酒は生まれる──真澄 総杜氏・那須賢二が語る酒造りの原点
日本各地には、土地に根づく文化や伝統を、 静かに守り続けてきた人たちがいます。日本酒の酒造りを支えてきた「杜氏」も、そのひとり。
静けさが深まる冬の日に、私たちは改めて「杜氏とはどのような存在なのか」を考えてみたいと思います。
今回、その答えをたどる先にあるのが、寛文二年(1662)創業、日本酒「真澄」で知られる長野県諏訪市の酒蔵・宮坂醸造です。
清冽な水と冷涼な気候に恵まれた霧ヶ峰の山のふもと・信州諏訪。
諏訪大社のご宝物「真澄の鏡」を酒名に冠し、 優良清酒酵母「協会七号」発祥の蔵として、 真澄は長く、土地に寄り添う酒造りを続けてきました。
この酒造りを40年にわたり現場で見つめ、支えてきたのが、 生産本部長・総杜氏の那須賢二さんです。那須さんが語るのは、 酵母や水といった技術論だけではありません。
水、土地、気候、そして人と人との関係性。それらが重なり合ったとき、はじめて酒の味がかたちづくられていく── そんな酒造りの根底にある考え方です。
本インタビューでは、七号酵母発祥の蔵・真澄の酒造りを手がかりに、TOJIが大切にしている、 土地・文化・人の営みが重なり合うものづくりの思想を、杜氏の言葉とともに辿っていきます。

酒造りの原点と、杜氏として歩んだ40年

TOJI:
酒造りの世界に入られた背景と、これまでの歩みについて教えてください。
那須さん:
東京農業大学で、発酵や酵母といった分野を専門的に学んだ後、宮坂醸造に入社しました。当時から発酵という現象そのものに強い興味があり、日本酒はその集大成のような存在だと感じていました。生まれ育ったのがこの諏訪の地域だったこともあり、地元に酒蔵があるという環境は、私にとってごく自然な選択肢だったと思います。
ただ、最初から「杜氏になろう」と思って入ったわけではありません。入社当初は、いわば研究室的な立場で、品質管理を担当していました。酒の分析をし、異常があれば原因を探り、どうすればより安定して良い酒が造れるのかを考える役割です。
その中で、机の上だけでは分からないことがあまりにも多いと感じ、実際の造りの現場に深く関わるようになりました。麹、酒母、もろみ──それぞれの工程に意味があり、微妙な違いが酒の表情を変えていく。その積み重ねを理解し、次の世代にどう伝えるかを考えることが、次第に自分の役割になっていったのだと思います。
結果として、品質管理からはじまり、そして人をまとめる立場へと仕事が広がり、気がつけば40年が経っていました。
「人をまとめること」が杜氏の仕事だった

TOJI:
酒蔵の現場は、昔と今でどのように変わってきたのでしょうか。
那須さん:
私が蔵に入った頃は、酒造りは完全に“季節の仕事”でした。冬になると、富士見町や原村など周辺地域の農家の方々が農閑期に蔵へ入り、酒を造る。そして、春になればまた農業に戻っていく。
杜氏とは、その季節限定で働く人たちの集団をまとめ、酒造りを成立させる存在でした。
ただ、その仕組みが永遠に続くとは思えなかった。農業の形が変わり、通年で農業をする人が増えれば、季節労働に頼る酒造りは成り立たなくなる。
だからこそ、社員が酒造りの中核を担い、技術を社内に蓄積していく体制をつくる必要がありました。
現在は精米や甘酒などの製造も含めて、全体で数十名。そのうち半分近くは今も酒造りの季節限定で働いている方々ですが、杜氏や副杜氏など役職は社員が担っています。 それでも「社員」と「季節限定で働く人」という線を引くことは、私はあまり意味がないと思っています。同じ現場で、同じ酒を造る仲間であることに変わりはない。
私が若い頃に大杜氏から教わった言葉に、「和醸良酒(わじょうりょうしゅ)」があります。
和をもって醸せば、良い酒ができる。
杜氏の仕事とは、技術を振りかざすことではなく、人と人の間に“和”をつくること。その土台があって初めて、酒造りはうまくいくのだと思っています。
情報は共有される。でも、同じ酒にはならない

TOJI:
人と人との繋がりという話がありましたが、酒造りの世界では、蔵同士が繋がって情報交換することもあるのでしょうか?
那須さん:
この業界は、意外とオープンです。うまくいったことがあると、つい話してしまう人が多い(笑)。
季節労務が中心だった時代は、人の移動もありましたから、技術や考え方は自然と共有されていきました。
ただ、同じ情報を持っていても、同じ酒ができるわけではありません。
同じレシピ、同じ酵母を使っても、標高、水、気候、湿度、温度が違えば、酒は必ず違う顔を見せます。
むしろ、突き詰めていくほど「土地の差」はごまかせなくなる。そこが日本酒の面白さでもあり、難しさでもあります。
酒の味を決めるもの──清らかな伏流水
TOJI:
酒造りにおいて、最も重要だと感じているものは何でしょうか。
那須さん:
それは、ずばり「酵母」と「水」です。
中でも水は、酒の骨格そのものを決める存在だと思っています。
酒造りにおいては、仕込み水だけでなく、米を洗う水も含め、すべての工程で水が関わります。その一つひとつの積み重ねが、酒の味わいを形づくっていく。だからこそ、水の条件をどこまで揃え、どう向き合うかが、酒造りの根幹になるのです。
長い年月をかけて山々から流れてくる伏流水。
この清らかな水があるからこそ、諏訪という土地で酒蔵が受け継がれ、酒造りが続いてきました。
私は、杜氏の腕以上に、水が酒を決めると考えています。

真澄の「原点回帰」──七号酵母を核にする理由
TOJI:
真澄の酒造りの特徴、そして「原点回帰」という考え方について教えてください。
那須さん:
以前は、その時代ごとの新しい酵母を積極的に使い、品評会で評価される酒を造ることが大きな目標でした。それはそれで、酒質を高める原動力にもなりました。
ただ、技術や情報が広く共有されるようになり、全国的に酒のレベルが底上げされる中で、似た酒が増えてきたという実感もありました。
その中で改めて考えたのが、「真澄らしさとは何か」という問いです。
行き着いた答えが、「七号酵母」でした。七号酵母は他の蔵でも使えるけれど、発祥の蔵として、その系譜を最も深く理解し、活かしてきたのが真澄だと自負しています。
香りを競う酒ではなく、酸の輪郭があり、料理と一緒に飲むと心地よい酒。
日常の食卓で、自然に寄り添う酒。
それが、私たちが目指す「上質な食中酒」です。

酒粕という存在──副産物ではなく、文化の延長線
TOJI:
酒粕については、どのようにお考えですか。
那須さん:
酒粕は余分なものではありません。
昔は、酒粕の売上だけで酒造りの期間限定で働かれている人たちの人件費が賄えたほど、高価な存在でした。
今は酒粕を食べる人が減っていますが、発酵食品としての価値は非常に高い。
健康や美容といった分野で研究も進んでいますし、食べるだけでなく、入浴やスキンケアといった形で活用されるのも、とても自然な流れだと思います。
酒粕は、酒造りの思想や土地の個性を内包した存在です。
世界に向けて発信していく価値は、十分にあると思います。
最後に──那須さんにとって「杜氏」とは

TOJI:
最後に、那須さんにとって「杜氏」とはどんな存在でしょうか。
那須さん:
杜氏とは、酒を造る人である前に、人と人との関係性を大切にし、現場で皆をまとめる人です。 技術や知識だけでは、良い酒はできない。人と人の間に和があり、信頼があってこそ、酒は応えてくれる。
それはまさに「和醸良酒」。
和をつくり、その和の中で酒を醸すー。
良い酒は、和の中から生まれるー。
それが、40年酒造りを続けてきて、私が辿り着いた答えです。

左から:宮坂勝彦様(宮坂醸造社長室室長)、那須賢二様(宮坂醸造総杜氏)、田村菜津紀(TOJI代表取締役)、上村知世(TOJIアートディレクター)
最後までお読みいただいた読者の皆さま、ありがとうございました。
今回は、宮坂醸造株式会社の生産本部長・総杜氏である那須賢二様にお話を伺い、酒造りの原点、そして「杜氏」という存在が担ってきた役割や哲学について深く知る機会となりました。
次回は、宮坂醸造株式会社 社長室室長・宮坂勝彦様へのインタビュー記事を公開予定です。
真澄の酒造りを支えるもう一つの視点をお届けしますので、どうぞお楽しみに。
(書き手:尾嵜未依)